Monthly Archives: 6月 2020

カモ

となりの田んぼより、カモが参詣されました。

最初見たときは、
「カモ…かも?」
と、とてつもないダジャレが勝手に口から出てしまうほど、
驚きました。

とってものんびりくつろいでいたので、
動画を撮りました。
手ぶれがひどいです。申し訳ありません。

雑記

昨日見つけて心に響いた言葉です。

「親切にしなさい、
あなたが会う人はみんな
厳しい闘いをしているのだから」
         プラトン (古代ギリシアの哲学者)

梅雨真っ盛り

今日は、朝から雨です。
動画を撮ってみましたので下記から御覧下さい。

※音が出ます。ご注意下さい。

こうやって聞いてみると、結構車の音が聞こえますね。
実際には、雨音、雨宿りしている鳥の鳴き声がよく聞こえます。

法話「積み重ね」

現在、寺院参詣が叶わない状況や、
法話ができない環境となっておりますので、
ここに今までに行った法話のダイジェストを掲載します。

(平成26年 盂蘭盆会法要法話)

現実に向き合う

基本的に仏教というのは、現実に向かい合うという姿勢が必要でして、
例えば、
「世の中には四苦八苦というものが現実に存在するから、
目を背けず、受け入れることが大切だ」
という立場を取るわけです。

世の中苦しみにあふれているとは誰も思いたくないですし、
そんなことは現実であっても欲しくはありません。
とはいえ、避けたい思いはありますが、やはり現実からは避けて通れません。

だけれども、何にもなくて現実に向かい合うことはつらいし苦しいです。
ですから、支えとなるものが必要で、仏様の慈悲の心を感じつつ、
慈悲を支えとして、現実に向かい合っていくことが大切です。

ではどうしたら仏様の慈悲の心を感じることができるのでしょうか?
前置きが長くなりました。その疑問が今日のお話です。

予防

最近は、病気にならないための体づくりということが随分言われるようになりました。
身体にやさしい、自然にやさしいというような生活スタイルというのが流行っています。
それで病気にならないための体づくりっていうものや生活スタイル、
つまりは「予防」ということが大きく注目されています。
病気になったら治療をします。
治療も大事。
でも、できるならそもそも病気になりたくない。
だから「予防」に励むということです。
皆様の中にも食事に気をつけたり、毎日ウォーキングをされている方も
おられるのではないでしょうか?

最近の信心

さて、最近の巷で言われる信心というものがどういうものかというと、
どちらかというと病気で言えば「治療」の役割を果たしています。
苦しい時があったときに拝むもの、
つらいことにぶち当たった時にわらをもつかむ思いで手を合わせる、
このようなイメージで世間では捉えられているのではないでしょうか。

確かに、信心というのは、そういう治療的な役割は持っているんですが、
私は、先ほど述べました「予防」という側面を大事にすることが
信心としての本来の力を最大限に発揮することになるのではないか考えています。

山あり谷あり

生きていますといろいろなことがあります。
上り坂、下り坂、まさか。
ときにつまずくこともあるし、転んでしまうこともあります。
そうしたときに、人は、どう立ち上がるかばかりを考えます。

本当は、山あり谷ありの人生、杖(支えとなる教え=信心)とともに
道を進めば転ぶことは少なくなるでしょうし、
もし転んだとしても大きな怪我もないでしょう。

そんなことはない。人生、わからないことだらけだ。

確かにそうです。

なぜならそもそも自分自身が良く物事を見えていないということがあるからです。
大聖人様は、
「虚空の遠きと、まつげの近きと人みる事なきなり。」
と仰せになられています。
夏目漱石はこんなことをいっています。
「自分で自分の鼻の高さがわからないと同じように、自己のなにものなのかはなかなか見当がつきにくい」
自分ってものがよくわからないから、
まわりで起きていることもわからないわけです。

人生、わからないことだらけだ。

だからこそ、予防としての信心が大事であると思うのです。

日々慈悲を感じる

では、
「どうすれば仏様の慈悲を感じることができるのか?」
ということと
「予防」
が関係あるのかといいますと…

病気の予防といえば、健康な体作りです。
健康な体作りには、毎日の運動、毎日の食生活が大事。
つまり、日々の積み重ねが物を言います。
「予防していても病気になりますよ」
もちろんそうです。ですが、病気の時こそ、日々の生活があらわれます。
乱暴な生活をしていたら、病気も重くなる。
しっかりとした生活をしていれば、予防を心がけていれば、
病気も軽く受けることができる。

信心も同じで、毎日の積み重ねが大事です。
予防するためには毎日の積み重ねです。
「信心していたら、困難はなくなるんですか?」
そんなことはありません。困難はあるでしょう。
でも、乱暴な生き方をしていたら、困難もひどくなる。
信心とともに日々を積み重ねていれば、困難も乗り越えることができるでしょう。

当宗では、毎日朝晩勤行をします。積み重ねです。
勤行をするというのは、「有難い」と感じることでもあります。
何を有難いと感じるか?
「仏様の慈悲」です。

毎日、
「仏様ありがとうございます」
「生かしていただいてありがとうございます」
と感じることです。

つまり、
予防=日々の積み重ね
日々の積み重ね=仏様の慈悲を感じることができるようになる
ということです。

困ったときに慌てふためいて、急いで仏様の慈悲を探しても、
なかなか見つかりません。

仏様の慈悲を感じる日々を積み重ねているからこそ、
困難を乗り越えていくこともできるのです。

こころ

「信心のこころ全ければ平等大恵の智水乾く事なし。」
(人も信心の心がととのっていれば、
仏の平等大恵の教えはは常に満ちていて乾くことはないのです)
と大聖人様は仰せです。

今の時代は、どうも心に目を向けようとしません。
体の健康ばかりをいいます。
何故か。
心というのは簡単ではないからです。
そして、心に向かい合わない社会だから、
言い知れぬ不安感は拭い去れないですし、
どうにも生きづらい世の中になってしまうと思うのです。

心は簡単ではありません。
だからこそ、日々丁寧に向き合って下さい。
「めんどくさい」だなんて思わないで、もっと自分や家族の心を大切にしましょう。

以上、本日の法話をこれまでと致します。

ご清聴誠にありがとうございました。

(合掌)

法話 陰の努力

現在、寺院参詣が叶わない状況や、
法話ができない環境となっておりますので、
ここに今までに行った法話のダイジェストを掲載します。

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正直者は馬鹿を見る?

今日は、「陰徳あれば陽報」ありというお話をさせていただきたいと思います。
陰に積む徳あれば、必ず陽なたにおいて果報を得る。
という教えです。
最近は、
「そんなわけはない」
「正直者がバカを見る」
「良いことをしていても、なにも良いことが巡ってこない」
などと、思ってしまいかねない時代になってしまいました。

果たして本当に正直者が馬鹿を見るのでしょうか?
私はそうではないと思います。
今のような、混迷の時代こそ、「陰徳あれば陽報あり」の精神が
大切なのではないでしょうか。

なぜなら、この陰徳あれば陽報ありという教えは、
様々な時代を超えて言い伝えられてきた言葉だからです。
今以上に困難な時代、苦しい生活の中で教訓とされてきた教えです。
ですから、今を生きる私たちの指針にも、必ずなると思うのです。

それでは、この陰徳あれば陽報ありというのは具体的にどういうあり方をいうのか。
それをよく物語った話が、落語の中で出てきます。
「帯久」というお話です。
この話は、もともと上方のものであったのですが、
後に江戸でも落語として披露されるようになりました。
岡山の人はどちらかというと文化的には江戸に近いものがあるといいますので、
今日はその江戸版の方から少し長いですがお話します。

帯久(おびきゅう)

日本橋本町三丁目に呉服屋和泉屋与兵衛が住んでいた。
この和泉屋は根がマジメで日頃の行いもとても良かった。
誰に対しても優しく慈悲深く接する人だった。
そのおかげで商売繁盛していた。

一方、 隣町本町二丁目に帯屋久七が住んでいた。
この人は、箸にも棒にもかからないという人間で、
帯屋のことをよく言うものはなく、街であっても挨拶もしない。
そのせいで、世間では”売れず屋”と呼ばれていた。

帯屋久七は資金繰りに困ったか、
ある年の3月頃に和泉屋与兵衛の所に金の無心に来て、20両の金を借りた。
与兵衛は根っからのお人好しなので証文無しで期限も定めずに貸したが、
久七は20日程しないのにきちんと完済してきた。
さらに、久七は5月には30両、7月には50両、9月には70両、
と借りにきたが、やはり20日ほどで返した。
そして、11月にはとうとう100両貸した。
ところが、今までとは違って、その月には返済がなかった。
月が変わって12月大晦日、てんやわんやの忙しさの時に、久七は返済にきた。
与兵衛は久七を奥の間に通すが、番頭に声をかけられ、
久七と100両を残したまま、与兵衛は出掛けてしまった。
用事をすませて帰ってみると、帯屋はいない。
100両もなかった。
探してもない。
帯屋は100両を返済せずに持ち帰ったのだ。

与兵衛は店中探したが当然無かった。
今更誰かをせめても仕方ないと和泉屋は自分の所でおさめることにした。
ところが、これが不運のつきはじめか、
年が明けると和泉屋は一人娘と妻を相次いで亡くす。
さらには、享保6年12月10日、神田三河町から出た大火事で呉服屋も全焼。
全てを無くし気力を無くして、与兵衛は床につくようになった。

対する帯屋は、100両を元手に大繁盛。

人生とは儚いものです。
これでは「陰徳あれば陽報あり」とは正反対の話ではないか。
いやいやまだまだ話には続きがあります。

与兵衛の番頭をしていた武兵衛が分家をして和泉屋と名乗っていたが、
こちらも落ちぶれて日雇いになっていた。
それでも主人(与兵衛)を引き取って介抱し、アッという間に10年の月日が
経ってしまった。与兵衛は還暦を迎えていた。

与兵衛は世話になった番頭の武兵衛に店を持たせてあげたいと思い、
帯屋久七に出店の資金を借りに行く。
ところが、久七は、昔自分が困ったときに与兵衛がいろいろと世話をしてくれた恩を忘れ、
悪態を付いて、与兵衛の頭をぶん殴り、店先に放り出してしまった。

与兵衛は帰る意欲もなくして、帯屋の裏に回ると久七は離れを普請(建築)していた。
そのカンナっくずにキセルを叩いた火玉が燃え移り煙が上がった。
火事は大事にならなかったが、与兵衛は放火の罪で町方に捕まってしまう。

町方の役人は篤志家の与兵衛のことを良く知っており、
窮状に同情、不問にした上、1両の金をみんなで出し合って家に返してやった。

これを聞いて怒り狂った久七は、今回のことで以前自分がくすねた100両の一件が
露見しては困ると思い、火付けの罪で与兵衛を改めて訴えた。

大岡越前守はそれぞれの様子から全てを見抜いたが、
現行犯でもあり、火付けの罪は重いので、
与兵衛を免罪するわけにはいかなかった。
結果、大岡越前守は与兵衛に火あぶりの刑を申し渡す。

次に、大岡越前守は久七に、10年前のことを正すために、
「100両を返しに来たが主人が出掛けたので、
間違いがあってはと持ち帰ったのを忘れたのではないか」
と優しく尋ねる。ところが、久七があくまでも白を切るので、
人指し指と中指を結び、
「これは忘れたものを思い出すおまじないだ。勝手に解いてはならんぞ。
解いたら死罪、家財没収。」
と言い渡した。

久七は指が使えないのでにぎり飯しか食えず、眠れず、
とうとう3日目には、
「確かに持ち帰って、忘れていました」
と白状した。

そこで、大岡越前守は100両をその場で返すことを命じる。
また、さらに利子として、年に15両、10年で150両を支払うよう命じる。
久七は100両は棚上げし50両だけをケチって年賦として毎年1両ずつ返却する
約束し、証文を作る。
これで損はないとほくそ笑む久七。

これを受けて、大岡越前守は次のようにいう。
「火付けの与兵衛には火あぶりの刑の判決であるが、
ただし50両の残金を全て受け取ってからの執行」
(刑の執行は50年後)
とのお裁き。

驚いた帯久がそれなら今50両出すと言ったが、
大岡越前守にどなりつけられ渋々納得する。

「与兵衛、その方何歳になる?」

「六十一でございます」

「還暦か・・・めでたいの~」

「還暦の祝いにこのうえない見事なお裁き、有り難うございます」

「見事と言うほどではないのだ、
相手が帯屋だから少々きつめに締め上げておいた」。

(参考サイト http://ginjo.fc2web.com/117obikyuu/obikyuu.htm)

徳を積む

和泉屋が行った火付けというのは悪いことです。
社会的に制裁を受けても仕方ありません。
しかし最後に皆が手を差し伸べてくれたのは、
やはり与兵衛が日頃から徳を積み重ねる生き方をしていたからです。

こういうことは私たちも生きていればよくあることです。
自分で失敗したり、
他人の不運に巻き込まれたり、
病気になったり、
いろいろなことがあります。
そして、誰しも
「なんで自分ばかりこんなつらい目に合うのか」
と思う。また、
「こんなことになるなら、まじめに生きても仕方ない」
と思うかもしれません。
しかし、そうではない。
人生いろいろなことがあっても、最後のところや肝心な時には、
やはり日頃積み重ねたきたものが自分を守ってくれるのです。

大聖人様の檀越に四条金吾という方がおられます。
四条金吾は自分の信仰を、なかなか上司や仲間に理解をしてもらえなかった。
しかし、長年の奉公と、日々の信心のおかげで活路を見いだしていかれました。
その四条金吾に、
「陰徳あれば陽報ありである。あなたの心が正直で、
主君を思う気持ちに間違いがない日々を送っていたから、
このような良い果報を得ることができたのだよ」
と暖かいお言葉をかけられているのです。

まとめ

今日は、陰徳あれば陽報ありということについてお話をしました。

まとめますと、
〇どんなにまじめに生きていても試練はやってくること。
〇その試練を乗り越えるのは日頃の積み重ねである。
〇信心においても、 日々積み重ねることで、
困難に目の前にしても乗り越える力を与えてくれる。
〇目の前にしてからあたふたしてもしかたないのだから、
日頃から信心に励み、心身共に整えていくようにしてほしい。
というお話でした。

暑い日々です。どうぞお体を大切にして下さい。

本日の法話をこれまでと致します。

ご清聴誠にありがとうございました。

合掌(平成25年 盂蘭盆会法要にて)

変わるのか?

となりの田んぼが耕されています。
もう田植えの時期ですね。
だんだんと暑くなっていますが、田んぼに水がはられるだけで、
涼やかな季節感を受けます。

コロナの騒動がはじまって5ヶ月、6ヶ月ほどになるでしょうか。
思いも寄らぬことが起きましたから、
新年に立てた目標などすっかり忘れてしまいました。
(だいたい毎年2、3ヶ月で忘れますが…)

時間が経るにつれて、
コロナから逃れる生活と、
コロナと共に生きる生活というものが、
私たちの生活の基本となってきました。

社会的生活の中でも、店舗や事業所などでは、
対策の努力がなされていますし、
私生活の中でも、手洗いうがいや消毒、生活行動の調整など、
様々に工夫がなされています。

その日々で、
「コロナによって社会が変わる」
ということが叫ばれているようです。
実際はどのような変化がもたらされるのかがわからないのに、
「変わる」という言葉が先走りして、
人々の不安感をあおっているような気もします。

参詣される方々の中にも、
「このまま変わっていくのでしょうか?」
と相談を持ちかけられることがあります。

「変わるのか?」と問われれば、
「変わる」と答えています。

なぜなら、そもそも私たちは日々変化をしているから。

仏教の基本の基本として諸行無常があります。
仏教なんて知らないよという方でも知ってられる教えと思います。

これは無常とつきますから、無情という言葉と重なって、
とても虚しさを感じさせますが、
「諸行無常」自体は世間の物事すべての状態をあらわす教えです。

常に変化している。
とどまることはない。

私もあなたも。
世間も社会も。

ですから、「変わるのか?」と問われれば、
「変わる」と答えるのです。

ところが、人間はこの変化にめっぽう弱いものです。

なるべく同じ日常がよい。
相手の自分に対する気持ちはいつも同じであってほしい。
そこにあるものは、いつもそこにあってほしい。

大なり小なり、こういったことを誰しも思うはずです。

余談になりますが、
現代人は都会化する生活の中でストレスに弱くなったと言われています。

コンクリートのビルでは、床も壁もしっかりしています。
スーパーやコンビニにいけば、とりあえず食べるものもあります。

一方、自然に近い生活は変化の連続です。
山道を歩けば、急に穴があいていたりして、足を取られたりする。
突然生き物に遭遇することもあります。

私も小さいながら畑でやさいなどを育てていますが、
植物は毎日変化しています。
芽が出たり、葉がしおれたり、虫に食べられたり、病気になったり。
いつも敏感になっていないと、変化に追いつけなくなって、
枯らしてしまったりするのです。

都会に疲れて、自然の中へという余暇が今流行っていますが、
考えて見ると、変化の少ないところから、変化の多いところへ、
わざわざ向っているのです。

これは、実は生き物として、変化を感じることが、
無意識に大切なことだと思っているからかもしれません。

話を戻しますが、
人は変化に弱いものです。
できれば何も変わらないでいて欲しい。

でも、世の中は変化していきます。

ただ、此の度のコロナによる変化は急激なものです。
またこれがどのような結果を及ぼすかは、まだ誰もわかりません。

もうみんなと手をつなぐことはできないのか?
大声で楽しく歌うことはできないのか?
つらく悲しいときに身を寄せ合うことはできないのか?

こういった不安が頭をよぎります。

とはいえ、何度も言いますが、
コロナによってどう変わるかは、まだ誰もわからないのです。

ですから、今は、コロナが終息したら、
またみんなで手を取り合えばいい、
また大声で元気に歌を歌えばいい、
また身を寄せ合って励まし合えばいい、
と私は思っています。

変化は必ずします。
でも、自分で無理に変わる必要はありません。
変えることもない。
なぜなら自ずと変わるから。

ですから、今は、日一日を大切に生きて、
その日々を積み重ねていきましょう。

大丈夫。
踏み進める先に、光と道は必ずあります。