少し調べる用があって、昔の人が一日どれくらい歩いたのかを調べてみました。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index4/answer1.htm
上記サイトにあるように、一日40キロ程も歩けたようです。
驚きました。
東海道中膝栗毛を引き合いに出してありますが、言われてみると戸塚の宿までの距離だから、大変な行程です。
健脚とだけで片付けられないパワーを感じます。
そういえば落語などで、朝出遅れると次の宿に辿り着けない…、なんて表現がありましたが、確かに次の宿につかなければ、命とりです。
命懸けの旅程だったのですね。
昨日は、寺院清掃でした。
連日の猛暑の中、体調に気を付けながら清掃をいたしました。
暑い中本当にありがとうございました。
掃除をしながら、いろいろとお話しができました。
現在の宗教に対する世間の目であったり、法燈相続であったり、多岐にわたりました。
世間からの目はとても厳しいものがあることは日々痛感しております。
時に厳しい意見をお寄せいただくこともあります。
そういった見方を真摯に受け止めていかなければ、宗教離れはますますひどくなる一方だと思います。
今日は夕方に虹がかかりました。
月も見えてとっても美しい光景でした。
雨は一切降りませんが…。
梅雨明けから一滴も雨が降っていません。
こんなに雨が降らないことにもあまり驚かなくなってきました…。
なんだか良く分からない字が出てきて、またまた困ったということで、
の字ですが、ちょっと近くにいた方に、
これどう読みますかね?
って聞いてみたら、
凡という字に似てますね
とさらりと答えていただきました。
本当だ!と思って辞書を調べて見たらその通り。
凢は凡の異体字でした。
言われてみればそうだけど。
そういえば、読み仮名で「スヘ」あって送り仮名に「テ」とありました。
これ、「スヘテ」といろいろと探して見ていたのですが、「すべて」ということですね。
凢ては、「すべて」と読みます。
こういうヒラメキが欲しいです。
如来寿量品を話す準備をしているのですが、改めて説明するために読み直してみると、どれだけ多くの教えが含まれているかが良く分かります。
全部話をしていこうと思うと、何時間あっても足らないほどです。
どれを話すかある程度取捨選択をしなければいけないのですが、どれも話をしたくなってしまいます。
この作業もとても楽しくなるほど、やっぱり如来寿量品はすごい章です。
法華経の肝要です。
また自我偈はあの短さにあって、端的に如来寿量品の教えの内容が、すっきりとまとめられています。
しかし、説明するのはとても難しく観じています。
仏と法。
久遠と常住。
滅後と在世。
とりあえず今回は法華経の経文にしたがってお話しをしていこうと思っています。
よく間違える文字に
嗚呼
があります。
よぉく見ると、この嗚呼の嗚は鳴くではないのです。
最初に気付いたときは驚きでした。
この嗚は烏の鳴き声が由来だから鳴ではないということです。
今、自分で入力をしながら、どっちがどちらか分からなくなってしまいます。。
以前にセグロセキレイの巣が落ちたとこちらで御報告しました。
その後、巣を元の位置の近くに据えて、様子を見ていましたが、数日前より雛の声が聞こえなくなりました。
飛び立った様子もなかったので、意を決して巣の中をのぞき込みました。
残念ながら巣の中で死んでいました。
自然の摂理とはいえ、悲しいです。
境内の木の根元に植えて、お題目を唱えました。
また命が繋がっていくことを祈りました。
古い文章を読んでいて、
こけの行
とありました。
このこけは、苔などの意味では通じないのでいろいろと調べてみるとありました。
こ-け・なり 【虚仮なり】
https://kobun.weblio.jp/content/こけなり
形容動詞ナリ活用
活用{なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ}
愚かだ。あさはかだ。意味の浅い。
ですから、こけの行は意味の無い行いという意味であると思います。
昨日は、誓願題目講でした。
暑さが厳しい中御参詣いただいた皆様と唱題行につとめることができました。
唱題をはじめる前に少しだけ合掌の位置についてお話しをしました。
最初は高い位置に手が合わさっているのですが、時間が経ってくるとどうしても下の方に手が下がってきてしまいます。
そうすると知らないうちに姿勢も悪くなって、声も出ずらくなってしまいます。
手の位置に気を付けるだけでも、唱題行への取り組み方はかわってきます。
もし、なんだか今日はお題目に力が入らないなぁと思うようなことがあれば、手の位置を意識してみましょう。
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