昨日のお月様はとっても綺麗でした。
写真を撮りました。
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壁紙などにご利用下さい。
本日は寺院清掃でした。
彼岸を越えてもなかなか暑さがおさまりませんが、一生懸命清掃してくれました。
本当にありがとうございました。
彼岸花は、ようやく北側は咲き始めましたが、日当たりの良いところはまだ咲く様子がありません。
あと数日くらいは咲かない様子でしょうか。
今年は本当に変な天候です。
大聖人様は九郎太郎殿御返事に
法華経は仏にまさらせ給ふ法なれば、
と仰せです。
法華経が上で仏がしたと言うことではありませんが、仏も法華経で成仏したのであるから、法華経は仏にまさると捉えていらっしゃったのだと思います。
こういうちょっとした御文に依法不依人の精神が現れているなと思いますし、御書を拝読するときには一文字、一単語から大切にしていかなければいけないと痛感します。
最近のネット記事などは、題名につられて読んでみると題名と本文の内容が全く違うことがあります。
釣りタイトルとかタイトル詐欺と言ったりするそうです。
調べてみると、2000年代の初め頃から指摘されていることならしく、ここでいつも述べていることですが、今に始まったことじゃないということでしょうか。
とはいえ、題名を決めるのはものすごく難しいことで、ちょっとした文章の小題でも納得した題をつけることができたとはなかなか思えません。
そう考えると、妙法蓮華経は大変素晴らしい題号だと思います。
ちょっと機会があって、量子コンピューターのことを調べてみたのですが、大変難しい仕組みで有る事がわかりました…。
コインの裏表ではなく、コインが回転している状態を組み合わせて、とてつもない計算をしていくということだそうです。
でも生物学的には、表裏ではなく、中間地点があるというのは何だかがとても自然なことのようにも感じたりします。
量子コンピューターと呼ばれるものの一方、私たちが使っているコンピューターは、古典コンピューターと呼ばれるそうです。
量子コンピューターのことを調べていても、もう一つ分かったことがありました。
古典コンピューターのこともそもそも分かっていなかったということです(笑)
昨日はとても涼しい一日でしたが、今日はまた暑くなりました。
「墨」という雑誌があります。
https://www.gei-shin.co.jp/sumi/sumi274/
こちらで本阿弥光悦の特集が組まれていました。
1年ほど前の発行になりますが、すっきりまとまっていてとても興味深く読めました。
どれくらい前になるでしょうか、京都国立博物館で宗祖の特別展があり、そこで本阿弥光悦の作品を直に見ることができました。
文字というよりは、文字を含めて一種の絵画であるかのような作品でした。
一文字一文字が、大きさも墨の濃淡も違い、まるで文字が浮かび上がるような立体感もありました。
雑誌では感じるとことができない実物ならではの迫力が確かにありました。
本日は秋季彼岸会を奉修しました。
御参詣の皆様と謹んで先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。
御参詣誠に有難う御座いました。
法話では「薬」についてお話をしました。
仏教と薬は切っても切り離せてないもので、様々な教えとともに薬が登場します。
世間でも
良薬口に苦し
とあります。
仏様の教えの中にも耳が痛いと思うようなことがありますが、素直に受け取める姿勢を大事にしていきましょう。
涼しくなってきました。
夏の疲れが出る頃です。
十分大事にお過ごし下さい。
今年も秋の彼岸の季節となりました。
明日からは彼岸会の法要がございます。
秋分の日を中日をして前後一週間。
この一週間を彼岸と意識してお過ごしになられる方は、今どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
以前は、
彼岸の時期じゃけぇ、無駄な殺生はやめようやぁ
なんて会話が聞こえてきました。
仏教的にもそうですが、世間の風習としてのお彼岸も、今一度見直す機会にしてほしいと思っています。
昨日紹介した動画の中でもありましたが、ギリシア哲学、ひいては西洋の文化は批判ということが特徴であると思います。
対話や討論の中で批判を繰り返し、その中で正しさを模索する、哲学をするという方法論が用いられてきたようです。
しかし、巷でそんなことをすれば争いばかりが起きる。
だから、安心して批判し合える環境をつくるためにプラトンによってつくられたのが、アカデメイア、今の大学につながるものです。
安心して批判し合えるというのは、実に難しいことです。
日本人は批判に弱いとも言われますが、批判的な論争をしつつ、建設的な対話にしていく技術というものを習得していくことが大学の本来のあり方といえるのかもしれません。
最近のご意見