本日は、御報恩御講を奉修しました。
まだまだ暑さが続く中、御参詣の皆様と大聖人様への御報恩を懇ろに申し上げました。
また、竜口法難会も合わせて奉修し、謹んで御報恩謝徳申し上げました。
皆様には御参詣誠にありがとうございました。
法話では聖人知三世事についてお話ししました。
大聖人様は三世を知る人が聖人であり、真の聖人は法華経の行者であり、その法華経の行者こそ日蓮であると御教示になられています。
私たちは今を生きることで精一杯で、三世の中で生きていることを意識することは大変難しいです。
なぜなら私たちは聖人ではないからです。
それゆえ、三世を見ても、間違って意味づけをしたりしてしまいます。
病気の人がいたら、過去の業がなどと勝手なことを言い出してしまうのです。
私たちは人生において様々な苦難を受けます。
その苦難に対して良い意味づけができるかどうかで人生は変わります。
その意味づけ、過去現在を通して自分をみるためには、三世を知る聖人の御教導にあずかるしかありません。
苦難の人生にあっても真の喜びを見いだされた大聖人様の御教示を学び、三世を生きてまいりましょう。
本日は宗祖日蓮大聖人御逮夜法要を奉修しました。
本日も大変暑くなり、夕方の時間になっても暑さは続きましたが、謹んで大聖人様への御報恩を申し上げました。
法話では聖人知三世事についてお話ししているのですが、ここ数回、三世を考えさせられる御書を拝読させていただいております。
三世の理解は凡夫には到底至らないことですが、人生を考える上で三世は非常に大事な視点になると思います。
三世は重大な意義づけをしてくれる一方、自他共に乱暴なレッテルを貼ることになりかねません。
大聖人様のご教導を拝して真摯に受け止めなければならないことです。
本日は御報恩御講並びに盂蘭盆会法要を奉修いたしました。
宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げると共に、各家先祖諸精霊の追善回向を申し上げました。
暑い中の御参詣、誠に有難う御座いました。
法話は「聞く」ことについてお話しています。
法話終了後に何名かの方が、感想を寄せてくれました。
思いがけない御指摘や励げましもいただいて、とても勉強になりました。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
宗祖日蓮大聖人への御報恩を申し上げるとともに、合わせて盂蘭盆会の追善回向をねんごろに申し上げました。
夕方は少し涼しさを感じるようになりました。
暑さのピークも過ぎたのかな?
と参詣者の方々と話しました。
今回の御講ならびに盂蘭盆会は「聞く」ということについてお話しします。
明日からもお盆の法要が続きます。
よろしくお願い申し上げます。
本日は御報恩御講を奉修しました。
皆様には深信の御参詣を賜り、誠に有難く思う次第です。
御参詣の皆様と共に謹んで日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
法話では、四条金吾殿御返事についてお話ししました。
短い御書ですが、諸法実相をどのように行ずるかが説かれています。
また、四条金吾が、誰にでも法論をしてしまうことを戒めるような表現もあります。
法門を語るのは難しいことです。
謙虚な姿勢を忘れずにいないと、議論のための議論になってしまいかねません。
そういう意味でも四条金吾は私たちの良い手本になってくれる方です。
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御講終了後には、役員さんたちと親睦会を行いました。
とても楽しい時間になりました。
役員の皆様、いつも本当に有難う御座います。
本日は御逮夜法要を奉修しました。
謹んで宗祖日蓮大聖人様への御報恩謝徳を懇ろに申し上げました。
はっきりとしない天候が続いておりますが、少し暑さも和らいだのでホッとしております。
御逮夜法要は宗祖日蓮大聖人様が御入滅に至るまでの姿をあらわす大事な法要です。
安詳として御入滅されていくそのお姿を想いながら、読経唱題に励みますと、誠に有難く、報恩の気持ちがわき上がってきます。
重大な法要として護り伝えてきたいと強く思っています。
本日は、御報恩御講を奉修しました。
朝からあいにくの雨でしたが、参詣者がいらっしゃる頃には雨脚も弱まり、御参詣の皆様と宗祖日蓮大聖人への御報恩を謹んで申し上げました。
足下の悪い中の御参詣誠に有難く思う次第です。
法話では「南条殿御返事」についてお話しをしました。
まだ、16、17歳くらいの南条時光殿が、白麦などの御供養を大聖人様のもとへ届けられたことに対する返状になります。
南条時光殿は幼くして父を亡くして、若くして家督を継ぎます。
周りの人たちからの横槍なども多く入る中、当主としてやっていかなければならない。
そういったつらい状況を大聖人様に御報告されていたのかもしれません。
本抄の追伸では、そんな南条時光殿に対して大聖人様の温かい励ましの言葉が示されます。
思い切りなさい。もしダメであっても、身延の私の所に来なさい。
南条時光殿はどれだけ励まされたでしょうか。支えにされたでしょうか。
御書を拝するとき、その御書を賜った檀越の気持ちを考えると、また格別のものを感じます。
本日は、御逮夜法要を奉修しました。
謹んで、宗祖日蓮大聖人様への御報恩を申し上げました。
法話では、南条殿御返事を取り上げます。
大聖人様の残された御書には、真蹟(真筆)が残されているものがとても多くあります。
それらの御文字は容易く読めるわけではありませんが、じっと眺めているだけでも、とてもありがたい気持ちになります。
どんなお気持ちで認められたのだろうか?
と考えるのはもちろん、
どんな道具を使われたのだろう?
どんな場所で?
どんな姿勢で?
などと想像すると大聖人様を何だか身近に感じることができるように思います。
皆さんはどんなことを想像されるでしょうか。
本日は五月度の御報恩御講を奉修しました。
あいにくの雨模様でしたが、深信の御参詣を賜り誠にありがとうございました。
謹んで宗祖日蓮大聖人への御報恩謝徳を申し上げました。
法話では浄蓮房御書についてお話しをしました。
浄土宗に対する的確な批判から、亡父への供養のあり方が示されるとても有難い御書です。
近しい人が自分と信仰を異にすることがあります。
信仰に真摯になるほど、南無妙法蓮華経を信仰してくれれば良いのに…と思います。
浄蓮坊のお父様も念仏の信仰をしていました。
大聖人様はそういう浄蓮坊に対し、
あなたとお父様は繋がっている。だからあなたが法華経の題目から得た利益は必ずお父様にも届くのだ。
と仰せになってくださっています。
信仰を異にするからつながりが切れるわけではありません。
信仰を異にしたとしても、それでもその人のことを祈るという、自分自身の信心が試されているともいえるかと思います。
本日は、御逮夜法要を奉修しました。
謹んで仏祖三宝尊へ御報恩謝徳申し上げ、宗祖日蓮大聖人への御報恩を謹んで申し上げた次第です。
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法話の中で、お話しするために「細美」について調べていました。
これは粗めの麻布を指すそうですが、もともとはかなりの上等なものであったようです。
それが時代を経るにつれて、粗い麻で色を抜いていないものをいうようになったそうです。
鎌倉時代がどうであったかはわかりませんが、時代的にはまだ高級品の部類であったのかもしれません。
下記の資料がとても参考になりました。
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