先日、法華講の皆様と共に一日研修を開催しました。
久しぶりにペンとノートをもって、
日頃できないような深い部分まで学ぶことができたようで、
大変よい時間を過ごすことができました。
私も新しい挑戦をして、良くできたとはいえないにしても、
自分として大変よい勉強をすることができました。
学ぶということは、本当に面白いもので、
わからないときはどうにもならないのですが、
わかったときには、わからなかった今までが信じられないように、
物事が見えてくるのですが、見えてくれば、
またわからなくなる…。
こういうことの繰り返しによって、自分の歩いている道というものが、
どういうものかがわかってくるようです。
だから、いくつになっても学ぶことは大切です。
ところで、一日研修の側で子どもたちはパン作りをしました。
元気な声が響き渡っていて、本当に幸せな響きです。
立場の違いがあっても、共に育っていける環境があることを
本当に有難く思います。
次は、どういう形で行いましょうか?
また、皆で考えていきたいと思います。
準備のために、様々なご活躍いただいた皆様には、
本当にありがとうございました。
昨日、10時と18時から御経日が奉修されました。
天候も良く、御参詣の皆様と共に、先祖供養を申し上げることができ、
誠に有難く思います。
《法話 我が身を見て》
化儀についてお話をする前に、先日広島を訪問したオバマ大統領の
演説から、一部を取り出しお話をしました。
Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness.
And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
偉大な宗教はどこもおしなべて愛、平和、正義の道を教える。それなのに信仰を理由に人を殺す信者がどの宗教にも必ずいる。
信仰が殺人許可証と言わんばかりに。
(訳文はlifehacker様のページから引用させていただきました)
という部分です。
訪問したことや演説に関しては、いろいろご意見はあると思いますが、
それはさておき、考えさせられる一文です。
そういう輩を出す宗教に原因があるといってしまえばそれまで。
しかし、私たちはこれらのことを謙虚に受け止めなければならないと思います。
どんなに素晴らしい教えがあったとしても、受け取る人間が邪であれば、
教えを都合よく理解し、人を傷つけても構わない、何を犠牲にしてもかまわない、
となってしまいます。
だからこそ、宗祖も
「心の師となるとも心を師とせざれ」
と仰せになられたのだと思います。
こういう演説を聞いた時、
自分も気をつけなければならないと思える信仰者としてのあり方で、
生きていきたいと思います。
《一言》
トマトができました。きゅうりやなすも育っています。
程よく雨も降ってくれるので、今年は順調です。
初物を御本尊様にお供えできて幸せです。
最近のご意見