Monthly Archives: 8月 2016

大根栽培記

先日の夏期修養会で、今年は大根のたねを撒きました。

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早速昨日に大雨が降ってどうなることかと思いましたが、総代さん云く、
「覆いをかぶせていたから大丈夫だよ」
とのことでした。
この覆いは動物などがきて、種を踏み込んでしまわないためにするそうです。
目が出るのは4~5日後だそうです。
またご報告をします!

 

夏期修養会

本年も27日28日一泊二日の日程で夏期修養会が開催されました。
寺院で子どもたちとゆっくり時間を過ごし、仏心を育むことを念頭に置いて、
毎年開催しております。

本年は一般の方の参加もあり、
例年以上に楽しい会になりました。

 

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一生懸命御経の練習をしたり、

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陶芸をしたり、

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ピザを作ったりしました。

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楽しい日程をもあっという間に過ぎてしまい、お別れのときには、みんな本当に名残惜しそうに、またの再開を約束していました。

子育てに、これが正解というものがあるのかはわかりません。
ただ、子どもたちは私たちが思っている以上に不安定で、本当の安心をもとめていると思います。
そういったときに、信仰の果たす役割というものは大変大きなものがあるはずです。
これからもともに育ち、ともに生きる、そういったことを大いに感じることができる、
修養会を開催していきたいと考えています。

準備のため、また期間内も準備片付け等にご尽力いただいた皆様には心より御礼申し上げます。

皆様がおられたことで、最高の修養会になりました。

 

お言葉21「そのもの」

深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕はし、広野に綻ぶる梅も界如三千の薫りを添ふ。言語道断心行所滅せり。
『聖愚問答抄』

一度自然に入れば、花の姿に中道実相があり、梅の香りに一念三千を感じる。
素晴らしきその姿に実相を観ずることは、言葉で足りない、心でも捉えることができない。

言葉は万能か?思慮はどこまで届くのだろうか?
試行錯誤の中で、言葉や思慮が行き渡らないことを受け止めたとき、
その先の表現に、人としての価値を見出すことがある。
それはただの表現ではなく、もっと自然に近いものなのかもしれない。

深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕はし、広野に綻ぶる梅も界如三千の薫りを添ふ。言語道断心行所滅せり。
『聖愚問答抄』

お言葉20「求めて」

仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし、求めて崇むべし。
『聖愚問答抄』

真の教えを知る人がおられたら、自ら求めて師とし、尊崇しなければならない。

私たちは溢れる情報任せにして、考えることをやめていないか?
教えてくれないとただ歎くだけ、知らないとただつぶやくだけではないか?

求めて行動しなければならない、求めて学ばなければならない。

仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし、求めて崇むべし。
『聖愚問答抄』

お言葉19「受け難き」

受けがたき人身をうけ、値ひがたき仏法にあひて争でか虚しくて候べきぞ。
『持妙法華問答抄』

私たちは、希(まれ)な縁によって人として今世に生じた。
有難い教えにもであることができた。

どうして成仏を目指さず、虚しく日々を過ごすのか。

受けがたき人身をうけ、値ひがたき仏法にあひて争でか虚しくて候べきぞ。
『持妙法華問答抄』

お言葉18「言うべきことは…」

毒鼓の縁と成さんが為なり。
『教機時国抄』

末世の時代、人々は真実の教えに耳を傾けない。
それなら例え反発を受けようとも伝えるべきは伝えなければならない。
たとえ、その時は聞く耳を持たないとしても。
後に必ず、仏の教えに縁することを願って。

世間においても同じではないか。
顔色をうかがって、何も言わない何も言えない。
こんなことで果たして良いのか。
その時は胸をはって嫌われる勇気も必要である。

毒鼓の縁と成さんが為なり。
『教機時国抄』

誓願題目講

本日、13時より誓願題目講が奉修されました。
暑さに負けない唱題をすることができ、
本当に有難く思います。

一時間のお題目は長いようですが、終わってしまうとあっという間です。
唱える前は、しんどいかなぁ、大丈夫かなぁと考えたりするのですが、
唱え終わると、気持ちはスッキリです。
是非一緒にお題目を唱えましょう!

《一言》

題目講終わりに皆様と一緒にお茶をしますが、
今日はオリンピックの話題で一色でした。
選手の皆様の思いはわかりませんが、
私たちはしっかり感動を受け取り、多くの人は自分の人生に照らしあわせたりして、
このオリンピックの期間を過ごすのだと思います。
結果はどうであれ、やっぱりこの言葉が出てきます。
「ありがとうございました」
ゆっくり休んでください。そして、またそれぞれの場でのご活躍をお祈り申し上げます。

お言葉17「助け合う」

一切衆生は互ひに相助くる恩重し
『十法界明因果抄』

私たちは、互いに不思議な縁によって結ばれている。
昨日まではまったくの他人であったものが、
今日よりは無二の親友になることも珍しくない。

そう考えるなら、縁するしないを考えて行動するは愚かなことである。

私たちは同じ時に生まれ出た以上、互いに相助け合っていかなければならないのである。

一切衆生は互ひに相助くる恩重し
『十法界明因果抄』

お言葉16「我が心」

衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。
『一生成仏抄』

浄土…仏の世界
穢土…迷いの世界

浄土や穢土は、遠くはなれたところにあるわけではない。
むしろ私たちの心の善悪によって、この世は浄土にも穢土にもなる。

我が心のあり方によって世界は如何様にもなる。
それ故、まず整えるべきは我が心。

衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。
『一生成仏抄』

お言葉15「始終」

みな無始無終の色心なり
『諸宗問答抄』

始まりはあるのか、終わりのはあるのか。
今私たちはそればかりを考えている。
自ら行う事。
他人が行う事。
歴史が積み重ねてきたもの。
始まりと終わり。

そもそも始まりと終わりはあるのか。
私たちの色(身)も心も、生じて滅するだけのか。
全てが連続するものとして、そこに仮に存在するだけのではないか。
仏様はお示しになる。
つながっていることを、続いていることを。

みな無始無終の色心なり
『諸宗問答抄』