松栄えれば柏悦ぶ、芝かるれば蘭なく。無情の草木すら友の喜び友の歎き一つなり。
「光日上人御返事」
松が元気に育つと、柏も元気になる。
芝が枯れるると、蘭も元気がなくなる。
心を動かすことがないとされる草木でさえも、
友の喜び嘆きを共に感じている。
私たちは他から影響を受ける。
他へと影響を与える。
あなたの変化は必ず世の中を変える。
松栄えれば柏悦ぶ、芝かるれば蘭なく。無情の草木すら友の喜び友の歎き一つなり。
「光日上人御返事」
をやこのわかれこそ月日のへだつるままにいよいよなげきふかかりぬべくみえ候へ。
「光日房御書」
〈訳〉親子の別ればかりは、月日がたてばたつほどその歎きはいよいよ深くなるばかりです。
この御文は次のように続く。
「をやこのわかれにも、をやはゆきて子はとどまるは、同じ無常なれどもことはりにもや。
をひたるはわ(母)はとどまりて、わかき子の さきにたつは なさけなき事なれば、神も仏もうらめしや。
いかなれば、をやに子をかへさせ給ひて さきには たてさせ給はず、とどめをかせ給ひて、なげかさせ給ふらんと心うし。」
皆、大切に生きなければなりません。
他の命を大切にしなければいけません。
をやこのわかれこそ月日のへだつるままにいよいよなげきふかかりぬべくみえ候へ。
「光日房御書」
人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがひて、なげきしなじななり。
「光日房御書」
「あの人は幸せそうだね」
「あなたは悩み事なんてないでしょう」
と勝手なことを他人は言う。
みんなそれぞれ悩んでる。
様々なことに、様々な時に。
人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがひて、なげきしなじななり。
「光日房御書」
本日13時より6月度の御報恩御講が奉修されました。
あいにくの空模様となりましたが、
大勢の御参詣を賜り、共に御報恩の読経唱題に勤めることができまして、
誠に有難く思う次第です。
《法話 女性と御書》
この度の御講から、御経日でお話をしております「シリーズ女性と御書」を
御講でもお話をしております。
今回取り上げたのは、「上野殿後家尼御返事」です。
地獄も浄土も私たちの胸の中にあるというご教導が示される御書です。
そして、それを悟るものが仏であると。
少なくとも、自らの胸に地獄があるとはなかなか認めたくないものかもしれません。
しかし、それを一度認めることができれば、世の中の見方が180度変わってきます。
この御書を拝読すると、法華経の世界観がとてもよくわかります。
《一言》
梅雨は鬱陶しい時期ですが、花々はとても綺麗です。
雨に濡れる葉っぱも美しい。
やっぱり物事は物事の見方が大切ですね。
今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。
『種々御振舞御書』
〈訳〉 今の世の中を見ても、どうも人を成長させるのは、味方よりもむしろ強敵のようである。
物事をなすときは、仲間が必要である。
志を同じくして、同じ方向を向いて、共に歩んでいくこと、
これが成功の秘訣である。
その歩みを邪魔するものがあるのは、世間の常。
邪魔はないほうが良いのだが、そこで、はたと振り返る。
厳しい言葉、厳しい態度も物事を様々な方向から照らす光ではないか。
仲間はもちろん、邪魔する者が照らす光も、道を歩むには必要だ。
自らの成長を願うなら、道の険しきを恐れてはならない。
今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。
『種々御振舞御書』
お寺って敷居が高い…。良くお聞きします。
ですから気軽にどうぞ~って声をかけても、なかなか入りづらいっていうのが、
一般の方の思いなのだと感じています。
それでも、時折、足を運んでくれたり、道行く人が入ってこられて世間話をしたりします。
お話が盛り上がっちゃって時間を忘れるなんてこともしばしば。
そういうときに感じるのが、お寺ってとても勘違いされているなぁということです。
宗派のこと。お坊さんのこと。信心のことなどなど。そもそものお寺って何ってこと。
ということで、考えさせられることもとても多いです。
もっと気軽に相談をしていただいても良いのになぁって思います。
それでは、具体的にどんな相談を受けることが多いか?
実は世間で起きることはだいたいどんなことでも相談を受けていたりします。
家族のこと。
友人関係のこと。
仕事のこと。
人生のこと。
本当に様々です。
明確な答えを出すことはできないことが多いのですが、まずは、お話をお聞きし、一緒に考え、
例えば専門家を紹介したり、何か解決の足がかりになることを共に見出していくように、
努めています。
それで、だいたい言われるのが、
「こんなことまで聞いてくれると思いませんでした~」
とか、
「なんとなくどうしたら良いかが見えてきました~」
とか。
ときには、お互いに、
「う~ん、難しいね…」
で終わったりもします。。
私は、宗教や信仰に関わらず、
お寺って気軽に参詣して良い場所だと思っています。
少なくとも法眼寺は、そういうお寺です。
敷居は高くありません。
実際うちのお寺はバリアフリーです。(意味が違うかな(笑))
結局この言葉しかないのですが、
どうぞ気軽にご参詣ください!
ゆ(湯)をわかして水に入れ、火を切るにとげざるがごとし。
『種々御振舞御書』
〈訳〉
せっかく湯を沸かしたのに水に入れてもとの水とし、火打石で火をつけようとして途中でやめ、火がつかないのと同じことである。
いよいよやる気になってことを始めてみても、
途中で投げ出しては何の意味もない。
結果を急がず、じっくりと進もう。
ところで、お湯を沸かすとき、「早く沸け」と思っていると、
なかなか沸かない。
何の気なしに時間を過ごしていると、あっという間に湧いてしまう。
人間の感覚とは不思議なものだ。
もし、自分が成長しているのだろうかと悩む時、
毎日毎日気にするよりは、
とりあえず前を見て進んでみてはどうか。
日が経てば、振り返ってみた道のりの長さに驚き、
自信を得ることもあるだろう。
ゆ(湯)をわかして水に入れ、火を切るにとげざるがごとし。
『種々御振舞御書』
昨日、10時と18時より、6月度の御経日が奉修されました。
6月にはいり汗ばむ陽気の中、
参詣者一同、御回向を申し上げることができました。
《法話》
シリーズ女性と御書と題して、今回は乙御前母御書についてお話しました。
「道の遠きに志のあらわるるにや」
という有名な御一文が出て来る本抄は、
寺院参詣の意義は何かということを改めて考えさせられます。
人生、孤独な歩みを誰しも進むようですが、
信心のご縁というのは深く結ばれているものです。
その絆を強くするのが寺院参詣ではないでしょうか。
人間関係が希薄な時代、忙しい、年を取ったなどなど、
参詣しない理由は、いくらでもあります。
それでも、寺院参詣される御信徒の皆様の姿は、
とても有難く、胸に染み入ります。
法眼寺では、いずれの行事も、どなたでもご参加いただけます。
是非、気軽に御参詣ください。
《一言》
あじさいが咲きました。
梅雨が近くなってきた証拠ですね。
雨は好きではありませんが、
雨に濡れるあじさいはとても好きです。
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