Monthly Archives: 3月 2020

お言葉74「根っこ」

根露(あら)はれぬれば枝か(枯)れ、源渇(かわ)けば流れ尽くると申す事あり。
『弥源太入道殿御消息』

外見ばかり気にする自分がいる。
一生懸命見繕ってみても、鏡に映る自分は変わらない。
内面を見なさい。
内面を鍛えなさい。

根露(あら)はれぬれば枝か(枯)れ、源渇(かわ)けば流れ尽くると申す事あり。
『弥源太入道殿御消息』

雑記

桜が満開になりました。
まだ小さい桜ですが、たくさんの花をつけてくれています。

メジロが飛んできます。

なんともいえない可愛らしさです。

春季彼岸会

春季彼岸会法要を迎え、願い出のありました御塔婆を建立、
謹んで御回向を申し上げさせていただきました。

新型コロナウイルスの件もあり、例年のような法要は
できませんでしたが、各自御参詣をいただいた皆様には、
誠に有難く思う次第です。

法話もプリントを配布させていただきました。

「信頼」ということについてお話ししました。

このたびのような騒動においては、
ウイルス自体の恐怖もそうですが、
何より怖いのは、人が疑心暗鬼になることです。

心が悪い方向に傾きますと、
なかなか留めることは難しく、
人を疑う、事を疑う心は留まることを知らなくなります。

そのうちに差別を生み、社会生活すら困難になることもあります。

では、疑心暗鬼に対抗するにはどうしたらよいか?

それは信頼を持つことです。
信じ頼りにする、頼りにできるものを信ずる。

なにも、むやみやたらに信頼しろというわけではありません。

軸になる信頼を持っていくことです。

私たちは、真に信頼できる、仏様、題目があります。
そこをゆるがせにしないことです。
軸が揺るがなければ疑心暗鬼は盛んになることはありません。

大聖人様も、
「日蓮をつえ、はしらとたのみ」
と私たちを励ましてくれています。

皆様には信心を確かにして、信頼のある日々をお過ごし下さい。

開花!

境内のウスズミザクラが開花しました。

蕾の時は、ピンクですが、咲くと白い花を咲かせます。

花が終る頃にはまた色を変えるので、ウスズミザクラと言うそうです。

これから満開になります。楽しみですね。

雑記

最近、鳥が良く飛んできます。
見たことがない鳥だったので、調べてみると「ツグミ」という名前
のようです。たぶん…。
じーっと見てると地面をつんつんしています。
そして、結構地面でじーっとしている。
こちらもじーっと見てる。
互いにじーっとしている。
ただ時間が過ぎていく…。

いかん!
とはっとするのですが、時間を忘れるくらい鳥ってとても興味深いです。

考えてみれば、最近鳥が来るというのは、こちらの興味が
なかっただけかもしれません。
意識して見ることがなかったから、鳥に気付かなかっただけかも
しれません。

悟りというのは気付くことだという方もおられます。
気付くが悟りの真理をつくかは別にして、
気付くということが、単純ながらとても大事なことだと思います。

現在、社会は新型肺炎によって何かをなげかけられています。

私たちは、このときに、何に気付いていくのでしょうか?
問われています。

当サイトを見てますよと、多くの方から声をかけてくださいます。
ありがとうございます。
微力ながら更新を続けてまいります。

お言葉73「あきない」

信心にあか(倦)なくして所願を成就し給へ
『弥源太殿御返事』

何事かを成し遂げるために一番必要なことは何か?
それはあきないこと。
自分が自分をして、
あかせないように取り組むこと、向き合うこと。

信心にあか(倦)なくして所願を成就し給へ
『弥源太殿御返事』

東日本大震災

9年。
この9年の間に様々なことがありました。
各地で起きる地震、台風被害、新型肺炎の流行。

いずれの災害も、天秤にかけることはできません。
大変な被害と、尋常ではない復興への道のり。

私たちができることは何だろうかと考えます。

とにかく耳を傾けることが大切であると思います。
各地の被災地の人々の声を聞くこと。調べること。
インターネット社会ですから、だれでもできると思います。

つらい記憶ではありますが、苦難に立ち向かう姿にこちらが励まされます。

あらためて、物故者への御回向を申し上げ、
復興へ心よりお祈り申し上げます。

お言葉72「仏に成れる」

法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。
『日妙聖人御書』

斉等=等しい、同じ
真の仏教は仏に成れる教え。
安穏、安心を得られる教え。
不孝に甘んじていてはならない。
仏に成れることを信じて精進、精進。

法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。
『日妙聖人御書』

雑記

先日見たテレビで、感銘を受けた言葉です。

「先祖を敬うということは、
自分も敬われる存在であることを知ること。
自分も敬われる存在であることを知ることではじめて、
他人を尊重することができる」

マスケサス諸島の島民の言葉です。
悠久の時の中で、先祖と共に生きることの意味を強く感じた言葉でした。

竹馬草鶏

竹馬草鶏というのが御書周辺に出てきます。
竹馬も草鶏も、子どものおもちゃのこと。
竹馬は想像ができますが、草鶏は、草を編んで作った鶏のことだそうです。

仏の真の教えを教えないで、方便の教えを伝えるのは、宝を与えずに
子どものおもちゃをあたえるようなものだ。
こういった譬喩で使われたりします。

ところで、竹馬は、昔は笹などを馬に見立てて引きずって遊んだそうです。

竹馬も草鶏も、想像すると子どもの楽しそうな声が聞こえてきそうです。

今回の新型肺炎の影響で、子ども達が公園に戻ってきているそうです。
元気に外で遊ぶことが、こんなことで見直されるのも皮肉な気がしますが、
子ども達にとっては、とても良い機会なのかもしれません。

こういったときに問題になるのが、
竹馬も草鶏も与えることができない現代の大人の実状。
日常生活が妨げられた時、人間の一人一人の生きる力が試されているようにも
思います。

※画像はサツマイモをふかしているところ。此の季節のお芋はとっても美味しいです。