Monthly Archives: 10月 2014

お花づくり

昨日、10時より御会式のお花づくりが行われました。

お花づくり

お花づくり

毎年の恒例行事ですが、皆さんと力を合わせて立派なお花を作ることができました。
御会式のお花は、宗祖の御入滅の際に時ならぬ桜が咲いたことに由来します。

お花で荘厳された御宝前を拝し、宗祖の御入滅より滅不滅の相をお祝いする、大切な法要です。

御会式までの諸準備はまだまだありますので、皆様日程表を確認してご参加いただきますようお願い致します。

 

 

 

蓮の会 絵手紙 習字

本日13時から蓮の会が行われました。
月によって違いますが、だいたい第三土曜日に行っています。

内容としては絵手紙や習字など。
これらを通して信心の交流を深めています。

絵手紙

絵手紙

 

絵手紙

絵手紙

今回は、御会式の案内状に貼る絵手紙を作成。桜の絵です。
皆様のもとには11月のはじめに届くと思います。楽しみですね。

習字

習字

 

習字

習字

こちらは習字。習字と言ってもだいそれたものではありません。筆を使って字を書く楽しみを皆で味わっています。
お二方とも今日が初めての参加。熱心に取り組んでおられました。

蓮の会では、いろいろな作業をしながら交流をもっていき、日頃できない信心の話などができます。
それがとても楽しいです。
一般のかたの参加も大歓迎。詳しくはお寺までお問い合わせください。

ちなみに私は、昨日クツ箱を作りました。
今まで使っていたものがあまり使い勝手が良くなかったもので。

クツ箱縦

クツ箱縦

 

クツ箱横

クツ箱横

 

クツ箱完成

クツ箱完成

適当に板を組み合わせて、作りました。出来はよくありません!其れ故…、

1、もたれかからないでください(そんなに頑丈に作っていないので)
2、あまり近くでジロジロ見ないで下さい(そんなにもともと上手ではないので)

の2点に気をつけて、感想は言わずにそっとしておいて下さい。
前よりはちょっとはクツを起きやすいということでご勘弁を。

 

 

10月度御講

昨日、13時より、10月度の御報恩御講が奉修されました。
台風が迫る中、御参詣頂きました皆様には、深信のお志、誠にありがたく思う次第です。

《法話 塚原問答》

宗祖の御一生から佐渡での生活、また塚原問答についてお話しました。
宗祖の佐渡での生活を拝していきますと、自分たちの背筋も伸びるように思います。
どんなに困難な地にあっても、真心の信心と、硬い志を持っていれば必ず道が開ける、
そのような勇気をいただけます。

また、理と慈悲をもって人に接すれば、必ず理解をしてくれる人も出てくる。
これは本当に励みになります。
自分をあざ笑う人間もいるかもしれません。
しかし、自分を支えてくれる人もきっといるはずです。
我欲にまみれてそういう大切な人を失わないようにしなければいけないと思います。

《一言 台風》

いかがですか?
こちらも本格的に雨と風が吹き荒れています。
皆様も決して舐めてかからないようにしてください。
無理な外出は控え、なるべく早く避難を心掛けましょう。

 

コラム「お墓」

先日、交流会で四国に行ってきました。
その様子は、寺報にてお知らせします。

今回はちょっとお墓のことに関して雑書きです。
本日NHKでお墓のことについて放送していました。
最近良く話題になる無縁墓に関してです。
内容としては、お墓離れと先祖離れですね。
あまりここで詳しく述べるより、また法話でお話ししようと思っています。

このお墓に関して話すとき、やはり信仰や信心から切り離すことはできません。
なぜならお墓というものには、死生観、死後をどう捉えるか、ひいてはどう生きて行くかということが大きく関係するからです。
むしろ信心があるから、お墓というものが成立するといえます。
生きること、死を迎えること、死を通して伝えること、これらは信心が教えてくれます。
生命のあり方を学ぶことで、その先に生まれてくものの一つがお墓です。

ですから、何を拝むのか、何を根本として行きて行くのか、そしてそれらをどうやって次世代に伝えて行くのか、これらなしに、
「誰がお墓を守る?」
を問題にしても答えは無いように思います。

現代の日本人は本質的なことに目を向けず場当たり的な人間になっているように思います。
お墓に関しても表面的なことにばかりに目が向いていないだろうか…まずはそこから議論は始まるべきだと感じます。

10月度御経日

1日の10時と18時から御経日が奉修されました。
夏より夏らしい陽気になりましたが御参詣の皆様と共に追善供養を申し上げることができました。

《法話 謗法厳戒》

先月に続いて当門家において重要な御法門に関してお話ししました。
今日本人は敬うということが本当に乱れていて、節操のなさに拍車がかかっているようです。
何を拝むのか何を中心とするのかをはっきりさせていなければ世の中に溢れる情報に振り回されてしまいます。
人間は自ら迷いの多い世界を作り上げているようです。

《一言 『見てくれています』》

と本日声をかけていただきました。
このサイトもちゃんと届いているんだなぉと嬉しく思いました。
もちろんウェブといものの性質上不特定多数の方がご覧になられるので、いろいろとございます。ですから、こういう「見てます」などの声をいただくと本当にありがたいです。

言葉が足らずなかなか上手に伝えることができませんが、少しずつ更新続けて行きます!今後ともよろしくお願いします!