鎌倉時代は戦闘集団としての武家の人たちがいました。
戦闘をすることは力を競わすための一般的な手段であったわけです。
一般的な手段ですから、相手の命を奪うことも日常的なことであったといえるでしょう。
では、当時の武家は他者の命を奪うことに対して罪の意識はあったのか、なかったのか。
大聖人様の御書を拝読していると、罪の意識を感じ、悪人である自分が成仏できるのかと大聖人様にお尋ねする檀越が出てまいります。
このような御書を拝していると、当たり前の事ではあるのですが、好き好んで命を奪っているわけでは無く、自らの定めとして武家を受け入れなければいけない当時の人々の葛藤が見えてきます。
本日は寺院清掃を行いました。
春休み中のお子さんも参加してくれました。
子ども達の元気な声を聞くだけでこちらも元気をいただけました。
しかも、とっても綺麗にしてくれて本当に助かりました。
掃除が終わった後は、サツマイモの天ぷらを皆様と一緒にいただきました。
揚げたてはとっても美味しかったです。
収穫できなかった野菜を放置していたら、菜の花畑になりました…。
冬野菜はアブラナ科の種類が多いことにこのようなことで気付きます。
菜の花は黄色が美しく好きな花ですが、実は野菜の花の中でもおすすめなのが大根の花です。
白色に薄く紫が入ってとても綺麗です。
野菜を育てるとこういう楽しみもあります…、という畑毛を放置していたことの言い訳でした…。
御信徒が桜の写真を送ってくれました。
ソメイヨシノも満開だそうです。
今年は例年より早いのでしょうか。
桜を見るとき、今までは何となくボヤーっと眺めていましたが、ぐっと近づいて一つ一つの花を見てみると、めしべが真ん中にあって、その周りをぎっしりおしべが取り囲んでいたり、花弁が等間隔で綺麗にならんでいる様子などに改めて気付きます。
自然の美しさというのは本当に絶妙なバランスでできているのだなと感心します。
最近は様々な香りの線香が出てきました。
えぇこんな香りがするの?
と思うようなものまであって、今の技術はすごいなと感心するばかりです。
自分自身はどちらかといえばオーソドックスな香りのものが好きですので、あまり新しい香りのものに手を伸ばすことはありません。
ただどんな香りでなければならないというような厳密な決まりはありませんから、皆さんそれぞれで好きな香りの香をお供えいただければ良いのではないかと思います。
むしろ、いろいろな香りを比べてみて、自分なりに好きな香りを仏様にお供えすると、また一つお仏壇の前に座る楽しみも増えるのではないかと思います。
今日テレビを見ていたらシロサイの特集を放映していました。
その中で、シロサイの密猟が今でもあること、そして、近年増加傾向にあることなどが紹介されています。
南アフリカでは対策が強化され、一部報道では密漁の取り締まりが功を奏し、少しずつシロサイが増加傾向であるとありましたが、その他の報道を見る限りやはり現実は大変厳しい状況のようです。
対策として、先にシロサイの角を切っておくというような対策まであるそうです。
角を奪われたサイの様子には本当に胸が痛みます。
下記のサイトでも最近の様子が分かります。
残酷な画像もありますので、気を付けて御覧下さい。
四字熟語に「得手勝手」という言葉があります。
意味は、「他人のことは考えず、自分の都合ばかりを考えて好き勝手に行動すること。」というものです。
古い書物の中に出てきてたので、意味を調べてみた言葉です。
いつの時代にも得手勝手な人はいるのだなと思いつつ、こんなことに感心しても仕方ないとも思いました。
若い時分にはお互い様なんてことはあまり感じないものですが、歳を重ねていくとお互い様であると思うようになる…はずですが、以外と年齢を問わず得手勝手な人がいるのが現代の特徴でしょうか。
そういう時代だからこそ、お互い様をおもって生きていらっしゃる方を見ると、不思議な安心感を得るわけです。
マスク着用がマナーの問題になってしまい、同調圧力によってマスクを着用する本来に意味が分からなくなっていると聞きました。
コロナ禍の当初から正しく恐れることが大事だと言われてきましたが、その正しさ自体が不明確で、結局どのように恐れてよいのかがわからない、それぞれのさじ加減のようになってしまっています。
お互い様と思いやりが同居していることが大事であって、マスク着用も冷静に判断をすることを心がけ、着けたい人、着けたくない人、両者がお互い様の思いやりで同居してもらえたらと思います。
書物を読んでいて調法という言葉が出てきました。
いろいろな意味があります。
①調査したり考慮したりすること
②ととのえること。
③紛争などをとりまとめること。調停。
④食事の用意をすること。
⑤便利で都合がよいさま。
また、仏教用語では調伏のための呪法。
意味がありすぎる…。
とくに⑤は重宝と意味が重なります。
古い文章ではわりと出てくる言葉ですが意味に気を付けて読んでいかなければいけないですね。
本日は、誓願題目講を奉修しました。
彼岸会に引き続き御参詣を賜り誠にありがとうございました。
今日はとても穏やかな一日になり、汗ばみながら唱題行をつとめることができました。
このお題目は仏法の真髄であり、その有り難さをひとことで語ることはできません。
むしろ、ひとことで語ろうとすることが自体が間違いであるのかもしれません。
題目の有り難さを安易な解説に留めてはいけないと思います。
一生をかけて題目の真意を問いつつ、その題目を疑念無く信じ唱えていくことが肝要です。
題目講終了後は、境内の桜を眺めながらお茶をいただきました。
良い季節になりました。
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