Monthly Archives: 7月 2016

雑記「対話」

法眼寺では、宅御講を行っています。
各家庭の願い出によって、お宅へお伺いして読経・唱題した後、
法話をさせていただいております。

その中で、御信徒と対話をするのですが、
これが実に楽しいんです。
世間一般の話から、仏様だったらどう考えるだろうなどを、
皆で話し合いながら答えを導き出していきます。

答えの無いことも多々あるのですが、対話することによって、
心を開かしめ、お互いに励まし合うこともできます。

胸を締め付けられるようなニュースを聞いた時も、
皆で話し合うだけでも、安心を得られます。

これはとっても大事なことで、一人で悶々と考えるのとは違います。

当宗においては、昔から行われてきた宅御講です。
これからも大切に守り伝えていきたいと思っています。

信心をされていない方もご参加されています。
気軽にお越しください!

 

寺院清掃

本日、9時から寺院清掃が行われました。
カンカン照りのなかでしたので、早めに作業を開始し、
協力して草抜きをしました。

抜いても抜いてもどんどん生えてきます…。

とはいえ、草木成仏ですから、
命をいただいて修行させてもらってると思わなければなりませんね。

終了後、皆さんと一緒に飲んだお茶が美味しかったです。

 

雑記「さつまいも」

さつまいものツルを返す作業をしました。
こうしたら、何が良いのかはよくわかりません…。
そうするそうです。
たぶん強く育つんだと思います。

総代さんの見よう見まねなので、なかなか上手にできませんが、
こうやって手をかけると、次の日にはとても葉の色が良くなっていたりします。
(写真は途中経過のところを撮影しました。自分が思っている以上にひどい出来でしたので、
この後やり直しました…)

野菜を育てているといろんなことを学びます。

昔はどの家庭でも庭先で野菜を作っていたそうです。
子どもたちは小さい頃から、ものを育てる喜びを知っていたのでしょう。

ポケモンGOも楽しいかもしれませんが、
実際に育てたものを収穫する喜びは別格ですよ。

 

お言葉6「自分の悟りにしがみつかないで」

我等今は真に是れ声聞なり。
『開目抄』(妙法蓮華経信解品第四からの引文)

一生懸命修行し、学び、苦しみを乗り越えて、ある境地に至る。
うれしい、やっと自分は悟ることができた。
そこで成長を止めてしまう。そのことに本人は気づかない。

気づかないのか気づかないのフリなのか、
いずれにしても、仏様の言葉に耳を傾けようとしなかった。
自分の悟りにしがみついた。

そんな声聞たちは法華経に至って、初めて自分の至らなさに気付く。
「自分の悟りにしがみつかないで」
仏様の言葉が身にしみた。
そして、自分というものを真に悟った。
今までの中で最高の喜びの中で言う。

我等今は真に是れ声聞なり。
『開目抄』(妙法蓮華経信解品第四からの引文)

お言葉5「素直になれない」

 夫れ小児に灸治を加ふれば必ず母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば定めて口に苦しとうれう。
『開目抄』

小さい頃から良く叱られた。
叱られる意味もわからず、やたらと反抗心ばかり湧き上がってくる。
親不孝だと思いながらも、なかなか受け入れることができない。

それなりに歳を取っても、叱られる。
叱られる意味もわかっている。それなのに素直になれない。
なおのこと不孝者だと思いながらも、なかなか受け入れることができない。

自分の愚かさを棚に上げて、叱られた親をあだむ。
自分の無知をわきまえず、良薬を苦いと受け止めない。

素直になれない。

夫れ小児に灸治を加ふれば必ず母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば定めて口に苦しとうれう。
『開目抄』

雑記

現在、寺報の編集をしています。
先日の御講の法話を掲載しようと文章を直しているのですが、
改めて見直すと、自分でもよくわからないところがあったりして、
法話の難しさを感じています。

とはいえ、こうやって一回出してみないと、自分の思っていることや
考えていることというのはなかなか整理がつきません。
また皆様に少しでも理解いただける法話を作ることもできないわけで、
気を入れなおして、文章校正に取り組んでいます。

今日は久しぶりにポツポツ雨が降っています。
暑い日が続いていましたので、ホッとひと息できますね。

 

お言葉4「曲げない」

今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。
『開目抄』

龍口法難の後、宗祖は佐渡へ流罪となった。
足掛け四年に及ぶ流罪生活。その間、二つの偉大な御書を顕わされた。
その一つが『開目抄』。
その中で、法華経を説き出だした折のお心を仰せになられている。

私たちでは到底及ばない固い決意。
自らの私利私欲は一切なく、ただ一切衆生のため。
決して諦めず、意志を曲げないことを誓われた。

頑固とは違う。
何事にも揺るがいない意志。

自分の大切な志は、最後まで突き通してこそ。
曲げられそうになる、曲がりそうになる、でも曲げない。

今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。
『開目抄』

誓願題目講

昨日、13時より7月度の誓願題目講が奉修されました。
暑さ厳しいなか御参詣を賜り、読経・唱題ができましたこと、
誠に有難く思う次第です。

誓願題目講は一時間お題目を唱えます。
太鼓のリズムとともに、お題目を唱えていますと、
いろいろなことが心から湧き上がってきます。
自分に対峙していくなかで、はっとご仏意をいただくことも
多々あります。
坐禅とは違い、自ら発するお題目、仲間が発するお題目を、
耳で聞き、肌で感じ、自らに仏種を植え付ける、
自分の中の仏性を育てる、そういった感覚になるでしょうか。

湧き上がる様々な思いを仏様に照らしあわせ、
自分の命を良い方向へと向かわしめる、
そういった意味で、お題目を唱えるということは、
祈りの究極の形であるかと思います。

是非、御参詣をいただき、一心にお題目を唱えてみていただきたいと思います。

気軽にご参加ください!

 

お言葉3「信じる」

信は道の源
『念仏無間地獄抄』

人生はよく「道」に例えられる。
曲がりくねったり戻ったり、人生という道は真っ直ぐではない。
むしろ道は自分の歩いてきたところまでにあって、
これから先に道と呼べるものがあるのか?
そんな不安を誰しもが持つ。
そんな人生において、
あなたは信ずるものがあるだろうか?

自分を信じるか?
それも大事だろう。人は可能性に満ちている。
自分を信ずることができなければ、一歩は踏み出せない。

他人を信じるか?
世知辛い世の中だ。そうそう他人を信じることはできない。
それでも、信じてあげなければならない。
そうしなければ、信頼ある社会は築けない。

何を信じるか?
この先の道を指し示してくれる導(しるべ)はあるか?
何を信じるかによって人生は大きく変わってくる。
歩む道は違ってくる。

あなたには安心して信じられるものがあるだろうか?

信は道の源

 

雑記「梅雨明け」

梅雨明けしました。
やは梅雨の暑さとは、暑さそのものが違いますね。
元気に生えまくっていた雑草も、少し力ない様子に見えます。

梅雨があけるといよいよお盆です。
関東の方では、もうすでにお盆を終えているところもあるそうですが、
こちらはこれから。

よくお盆の風習についてお尋ねを受けるのですが、
ある程度は地域地域の慣習に則って行っていただいて結構です。
不明の点があれば、お聞きしていただければと思います。
また、できるだけ家族の方々と相談しながらお盆を迎えましょう。

お供え物はどうしようか?
お膳を作ってみようか?

こういった家族の会話もお盆の大切なあり方の一つです。