Monthly Archives: 4月 2018

お言葉61「最後まで信じ抜く」

信ずる人は爪上の土の如し。
『秋元御書』

法華経を信じない人は大地の土の数ほどいる。
法華経を信じ抜く人は爪の上にのせた土のように少ない。

不可能を語る人は、信じ抜くことができないだけ。

信ずる人は爪上の土の如し。
『秋元御書』

お言葉60「器」

我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。
『秋元御書』

宗祖は次の4つの失があると器は役に立たなくなると
仰せになられている。
1,覆う
2,漏れる
3,汚れる
4,雑じる

私たちの口も耳も器である。
あなたは何を入れる?

我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。
『秋元御書』

お言葉59「命の流れ」

種の苗となり、華の菓となるが如し。其の華は落ちて菓はあり、種はかくれて苗は現に見ゆ。
『法蓮抄』

種→苗→花→実→種→苗→花→実…
姿は変えても、命は続き、命は流れる。

私たちにも先祖の命が続いている。
私たちの命も後に流れていく。

種の苗となり、華の菓となるが如し。其の華は落ちて菓はあり、種はかくれて苗は現に見ゆ。
『法蓮抄』

お言葉58「耳を傾ける」

私に会通すべからず
『曾谷入道殿許御書』

【訳】自分勝手に解釈してはならない
宗祖は、先師の解釈などを徹底的に調べ、
末法の時代に最も適した教えを説かれた。
そこに驕(おご)りは一切見えない。

自分を信じることは大切だ。
合わせて他者へ耳を傾けることも大切だ。
他者は、歴史、環境、人々、草木、
自分以外の全てである。

私に会通すべからず
『曾谷入道殿許御書』

お言葉57「物の見方」

例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随ひて別々なり。
『曾谷入道殿御返事』

餓鬼はガンジス川の水を火と見る。
人は水と見る。
天人は甘露と見える。
同じ水でも、見る者のあり方の違いによって、別々に見える。

困難を試練と見るか。
苦難を成長の資糧とするか。
嫌な人を反面教師とするか。

物の見方一つで人生は変る。

例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随ひて別々なり。
『曾谷入道殿御返事』

4月度御経日

本日、10時と18時より御経日が奉修されました。
彼岸会に続き深信の御参詣を賜り誠にありがたく思う次第です。

《法話》

富木尼御前御書についてお話をしました。

富木殿夫妻の互いを思いやる気持ちが現れる御書です。
そして病気を抱える富木殿女房に対して、
病に負けず信心を深めていきなさい、
女人成仏を現世において経文のごとく体現しなさいと
仰せになられています。

私たちも成仏の境界を目指す志を忘れてはいけません。

《ひとこと》

暖かい日が続いています。
芽吹きが盛んになり、とても幸せな気持ちになります。
あちら見てもこちらを見てもいろんな花が咲いているのが、
本当に春の恵みですね。