Monthly Archives: 2月 2020

雑記

ハイビスカスが咲きました。


客殿南の和室の縁に鉢を置いているのですが、
暖冬だからでしょうか、こんな時期に咲きました。
驚きました。
ですから季節外れですが、最近の写真としてあげてみました。
朝晩は冷え込むのですが、お昼になると本当に暖かいですね。

ところで、世の中には思想家と呼ばれる方達がおられます。
他の文化や宗教を学ぶのに気軽に入っていけますので、
そういった方々の著作を読みます。
参考にはなるのですが、一方で法華経のことを書かれていたりする部分を
読むと、勉強不足の自分でも「これは随分一方的な解釈だなぁ」と
思うことが多々あります。
ですので、思想家の方々の著作もさらっと読むには良いのですが、
一つのことをしっかり研究したり、深めていった方々の著作などを
読むほうが有意義だなと感じています。

ハイビスカスと全く関係ない話でした…。

お言葉69「今一重」

古への御心ざし申す計りなし。其れよりも今一重強盛に御志あるべし。
『乙御前御消息』

訳 これまでの御志しは申し分ないが、さらに今より一層強盛な志ざしをもちなさい。

今までの精進に甘んじてはいけない。
より一層強盛に励んでまいろう。

古への御心ざし申す計りなし。其れよりも今一重強盛に御志あるべし。
『乙御前御消息』

マナビバ

本日は、マナビバでした。

マナビバでは、法華経を参加者と一緒にじっくり学んでいます。
教は妙法蓮華経法師功徳品第十九を学びました。

法師功徳品では、五種法師(受持、読、誦、解説、書写)の修行をおさめたものが、
得られる六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)清浄の功徳について説かれています。
功徳と一言にいっても大変なもので、眼だけで1200の功徳があると
説かれます。
あまりに多い功徳で、正直これらをどう扱えるのか…。
結局、自分自身が修行によって整えられていなければ、莫大な功徳も
何にもならないのです。
また、六根清浄といっても、
「父母からいただた肉眼をもって」
と説かれているように、あくまで現身に具わるものであることも忘れてはならないようです。
飛躍しすぎてしまわないように、現実を直視して仏道修行に励むことが大事です。

大聖人様は、五種の修行の中で、受持を根本とされました。
まずは大切に南無妙法蓮華経を受持することを修行の根本としましょう。

マナビバの参加者からは様々な質問が出されたり、意見が出されたりと
中身の濃い時間となりました。

特に功徳とは何だろうかという話の中では、現世利益的な功徳ではなくて、
今あることの有り難さを御本尊様に感謝する功徳の捉え方を大切にしていきたいと
確認しあいました。

マナビバは、毎回有意義でとても楽しい時間を過ごしています。

お言葉68「神の守り」

人の心かたければ、神のまぼり必ずつよしとこそ候へ。
『乙御前御消息』

諸天善神は信ずる心がかたいものを守護する。
乱れた願いや優柔不断な祈りに答えてくれはない。
場当たり的な信心で諸天善神の守護を語ってはならない。

人の心かたければ、神のまぼり必ずつよしとこそ候へ。
『乙御前御消息』

宅御講

法眼寺では、宅御講を行っています。
昨日は、遠方のお宅での宅御講でしたので、
途中で信徒を迎えにいって、道中様々な話をしながら、
お宅に向いました。

宅御講は、勤行唱題の後、法話を致します。
最近は参加者と一緒に御書の拝読を少しずつ続けています。
現在の拝読御書は『報恩抄』です。
難しい表現なども多く、説明する方も話が行ったり来たりするのですが、
皆さん我慢して良く聞いてくれます。
その信心姿勢に本当に頭が下がります。

昨日は、「報恩」ってなんだろうかと議論になりました。
世間的な報恩と、大聖人様の仰せになる報恩は違います。
仏様の教えに真摯であること、信心をするものに誠実であること、
その貫き通す姿勢は、ときに師の言葉に逆らい、親の想いにそぐわないことも
あります。
それでも、仏教者として仏様に真に向かい合われることが、
一切衆生に対する報恩になるのだという大聖人様のあり方を、
私たちはどのように受け止めていけば良いのか。

議論する中で、それぞれ納得したり納得しなかったりしつつ、
自分の信心を整えていってくれています。

その他にも、現在の世相をにぎわすニュースなどが取り上げられ、
それぞれの意見を聞きながら、どのように受け止めていくか、行動していくか、
などが議論されたりもします。

ニュースや報道は、一方的に流されるだけで、その後のことはほったらかしです。
恐ろしい事件、病気、自然災害など、
不安にさせるだけさせておいて、私たちの心の行き場なんて関係ありません。
ですから、参加者からは不安な気持ちなどが吐露されることもしばしばです。
参加者同士で話し合いを繰り返す中で、理解を深め、考えを新たにしていっています。

宅御講は、現在のように人間関係が希薄になった世の中にあって、
とても素朴で、しかり有意義な時間です。

参加を希望される方は寺院までご連絡ください。

御報恩御講

本日、13時より2月度の御報恩御講が奉修されました。
合わせてご誕生会も奉修し、御参詣の皆様と
宗祖大聖人様への御報恩を謹んで申し上げることができました。
深信の御参詣をいただき本当にありがたく思う次第です。

《法話》

ご誕生会より、大聖人様が身分の低いところに自らをおいて、
そこから成仏していく姿、示同凡夫としての仏様の姿をお示し下さったことに
関してお話しをしました。

現代も様々な差別のある時代ですが、大聖人様のお姿を拝すれば、
時代に言い訳はできません。
今を生きる私たちも、困難や苦難、それぞれの立場や環境に負けないで、
成仏を目指して精進をしてまいりましょう。

《ひとこと》

昨日、タモリさんが番組で川の流れのことを言っていました。

「川もまっすぐながれるだけではない、
いろいろなことにぶつかりながら、流れをつくっていく」
といったような内容でした。

なるほどと思いました。人間の時間の流れで考えると、
なかなかわからない視点ですね。

興師会

本日、13時より興師会が奉修されました。
寒い中、深信の御参詣を賜り誠に有難く思う次第です。

日興上人様への御報恩謝徳を、参詣者一同、
謹んで申し上げることができました。

《法話》

日興上人が身延離山するに至る過程を、時系列と、
波木井実長さんのお手紙などを通して見ていきました。

身延離山は日興上人と波木井実長さんの確執と端的に説明されることが
ありますが、それほど簡単なものではありません。
日興上人は最後まで波木井さんを導こうとされ、
波木井さん自身も、身延離山以降、日興上人の御教導にあずかっています。

厳しくも暖かい日興上人の御精神と、
日蓮大聖人の教えをひたすらに受持していく姿勢を見習って、
信心修行に励んで参りましょう。

《ひとこと》

日興上人の好物であった芹を、芹がゆにして参詣者といただきました。

こちらは先日の節分会で残った豆にコンブと梅干しを入れて炊いたものです。
とっても美味しいですよ。

素朴な味をいただくと、日々の食生活を見直すきっかけになったりしますね。

お言葉67「臨む」

日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。
『土籠御書』

日蓮大聖人はいわれなき罪科で佐渡に流された。
佐渡での日々は過酷であった。門下にも試練のときとなった。
その苦難は強固な師弟子の絆を作り上げた。

誰しも困難に立ち向かうときがある。
今その時ならば、望んで臨め!

日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。
『土籠御書』

節分会

昨日は、節分会でした。
御参詣の皆様と読経唱題につとめ、節分会の豆まきを行いました。

当宗は、福は内とだけ言って蒔きます。
鬼も成仏するとされる御本尊様の懐の深さを感じます。

節目節目の行事を御本尊様と迎えることができる喜びを皆感じておられました。

まだまだ寒い時期が続きます。
皆様くれぐれもお体を大事にしてください。


御経日

本日、10時18時より、2月度の御経日が奉修されました。

今年一番の冷え込みの中、深信の御参詣を賜り誠にありがたく思う次第です。
謹んで参詣者一同、先祖供養を申し上げました。

《法話》

シリーズ女性と御書として、『中興入道御消息』を取り上げました。

夭逝した女子のために、塔婆供養を願い出られた中興入道夫妻に対する
返状です。

御塔婆供養のあり方は、最近随分変わってきたように思います。
若い人の中には、「あの木の板、何するもんなん?」という疑問を
もたれている方も多くおられるようです。

たくさん建立すれば良いというわけではありませんが、
お題目とともにあるという御塔婆供養のあり方は、
大切にしていきたいと思いますし、また次世代へとつたえていきたいと
強く思います。

《一言》

暖冬ですので、様々な植物が元気に芽吹いてくれています。
お陰様で、雑草も…。
こちらが勝手に雑草としているだけで、同じ命あるものですもんね。
暖冬とはいえ、春の到来が待ち遠しい季節です。