本年も平成26年度秋季彼岸会法要を無事奉修することができました。
御参詣の皆様とともに御本尊様への御報恩とご先祖様を追善供養を申し上げることができ、
誠にありがたく思った次第です。
同音異義語ですが、大切な意味を含む、三つの言葉についてお話しました。
無常な世の中だからこそ、無情に傾かず、無上の教えに触れていくことが肝要なのでございます。
余話ですが、
先日、ラジオを聞いておりましたら次のようなことが話されていました。
人間は二足歩行になったことにより、本能的におもいやりを持つようになった。
哺乳類は、本来十六ヶ月程度出産までの期間が必要。
しかし、二足歩行になったために、産道がせまくなったことで、十月十日で出産するようになった。
そのため、子どもは未熟であるし、親も負担が大きく動けない。
そこで、誰かの手を借りることになる。つまり互いが思いやりをもって接することになる。
つまり、思いやりは人間にとって本質的かつ本能的な性であると。
なるほどと思った反面、それでは今の思いやりのない社会はいったいどうしてしまったのでしょうか。
本能すら失うほどに人の心が冷め切ってしまったとしたら本当に悲しいことです。
もう少し私たちは情というものを沸き上がらせるようにしなければならないのではないでしょうか。
悲惨なニュースの陰には思いやりを失った私たちの心が見え隠れしているようにも思えます。
少しずつ更新しています。どうぞ上のニンジン成長記のリンクから御覧ください。
昨日、9月度の御報恩御講が奉修されました。
すっかり秋らしくなってきましたが、日中はまだまだ残暑のなか、
御参詣の皆様と共に御報恩の読経・唱題に勤めることができました。
また、竜口法難にあやかり、ぼたもちをお供えしました。
朝早くから信者さんと一緒にぼたもちを作りました。あずきから作った方はうまく潰れなかったので、
ゼンザイにしました。
法要終了後皆さんと一緒に頂きましたが、とても美味しかったです。
お手伝いいただいた皆様、本当にありがとうございました!!!
法話は、大聖人の御一生の続きです。
開目抄の述作におよばれた背景とその御精神をみていきながら、
苦しみも悲しも生きてこそであるから、苦難や困難を上手に受け止め、
生き抜いていくことが大切であるとお話いたしました。
ご婦人の御信徒三名と一緒に作りましたが、さすが熟練の皆様で、
あっという間に出来上がりました。いろいろと交流出来たようで、
これも大聖人様から頂いたご縁であるととても嬉しく思いました。
ところで、あずきからあんこ作るのって難しいですね。
なかなか上手に潰れない。っということで次はリベンジしよう…、無理かな…。
それでも楽しくできました。
手作りだとアンコが苦手な方も食べれるようで良かったです。
本日、9月8日は中秋の名月です。
外はとても明るくて街灯がいらないほど。今年はすっかり晴れましたので、きれいな月が見れました。
中秋とは旧暦の8月15日のことだそうで、そのため毎年日にちが変わります。(旧暦は陰暦を使用しているため。陰暦でも太陽太陰暦などもあるのですが、ここでは省きます。興味のある人は調べましょう)
団子とススキが有名です。
月を愛でるなんてことはしなくなりましたが、のんびりつきを眺めるってのも良いですね。
宗祖は月を月天子とされて、
「衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是の如し」
と仰せになられています。
確かに月の美しさは隔別で、そこに行者の姿を見出されたのも納得です。
実は月ってとても明るいので、気軽に写真も取れたりします。
ということで、こちらの写真は大きなサイズですので、壁紙などへお使い下さい。
月のような行者たるには私はまだまだ未熟。精進です。
最近のご意見