Monthly Archives: 2月 2017

雑記

昨日、先輩僧侶と電話をしていましたら、
このサイトを見てくれているとのこと。

恐縮です。

更新が滞らないようにと思っているのですが。。
激励!?をいただきましたので、早速更新致します!
有難うございます!

先日のこと、飛び込みで信仰に関する相談を受けました。
切実な悩みに答えようとしない宗教が(そんなものを宗教と呼べるのかわかりません…)
まだまだ世の中にはたくさんあるようです。

明快なお答えができたわけではありませんが、
後日わざわざお礼にお越しになられました。

少し笑顔が明るくなられたようでこちらもホッといたしました。

大聖人様の教えのもと、精進することで、少しでも世の役に立てばと、
随分大きな願いを抱いています。

 

蓮の会

今日は蓮の会でした。
参加者で法華講総会の絵手紙や同時に開催される文化祭の作品作りを
しました。少し動画を撮りましたので、ご紹介です。

楽しく和気あいあいと。

興味のあります方は、寺院までお声掛ください!

 

 

御報恩御講

昨日、13時より、御報恩御講ならびに誕生会、寒行を奉修致しました。
冷え込みが厳しい中、大勢の御参詣を賜り、誠に有難く思う次第です。

《法話 定める》

寒行をするために、短くお話をさせていただきました。
最近は、学校行事などで宗教行事を行うことが多いようです。
当門流は、謗法厳誡の教えがありますから、こういったこととどのように
付き合っていくのか、頭を悩ますところです。
子ども達や親御様と様々に話し合いをしながら対処していっています。
そもそもに、公の行事に宗教行事を取り込む必要があるのかという議論もあるでしょうが、
そこはとりあえずおいておいて、
こういうときこそ、子どもと真剣に向き合うことが大事です。
上手に説明できなくても、親も悩み、真正面から向き合うことで、
子どもにも、本尊を定めるということが伝わっていきます。

あるお子さんが私に言ってくれました。
「みんな行くお寺がないんだよね、だからいろんな神社とかいかなきゃだめなんだよね」

頭でっかちな自分よりも、感覚的に、仏様を感じているのかもしれません。
安心して手を合わせることができること。
これは、老若男女に関わらず、本当に有難いことです。

そうして信心が定まったとき、拝む自分も定めていかなければいけないことに気づきます。
ここからが本当の信心修行の始まりではないでしょうか。

《一言》

寒いですね。
県北の方では、例年にないくらいの雪ですと、お電話がありました。
こういうときは、イライラしがちです。
あせらないでゆっくりと。

 

興師会

本日、13時より興師会が奉修されました。
節分会に引き続き深信の御参詣を賜り、共に日興上人様へ御報恩の読経唱題を
勤めることができ、誠に嬉しく思う次第です。

当門流は、古来より富士門流、また日興門流と呼ばれています。

大聖人様の本懐を余すところなく継承された日興上人。
日蓮門下は、種々分派することになりましたが、
いずれのかのときには、分派を超えて一になり、
宗祖の信仰に皆で勤めることができたら、どんなに幸せなことだろうか、
また、日興上人は何よりもそのことを願われているのではないか、
唱題をしながら、そのようなことを想いました。

興師会終了後には、日興上人がお好きであられた芹がゆを
皆でいただきました。
素朴な味を頂戴しながら、正法弘通の力もいただいたように思います。

 

節分会

昨日、13時18時より、節分会が奉修されました。
御経日に引き続き参詣を賜り誠に有難く思う次第です。

最近、厄の御祈念を願われる方が多くなってきたように思います。
特に若い世代が、自分の人生の歩みを考えたときに、厄という節目に
行き当たるようです。

大聖人様は、
「本年の大厄は日蓮に任せなさい」
と心強いお言葉を残してくださっています。

気にしすぎることはありませんが、
厄のころには、いつも以上に大切に生きることが大事です。
そして、信心倍増を誓い、周りで生きる人に感謝しましょう。
多くの厄があるのなら、多くの幸いに転じることができるのが信仰者としてのあり方です。

 

2月度御経日

本日、10時、18時より御経日が奉修されました。
寒い中深信の御参詣を賜り誠に有難く思う次第です。

《法話 女性と御書》

同生同名御書から、四条金吾妻の信心に触れました。

私たちは生まれてこのかた、両肩に同生神同名神がおられて、
逐一、天へご報告されているそうです。
そう聞くと、両肩が気になってしょうがない…。

人生いろいろありますが、信心だけは立派なものだと
報告してもらえるような生き方をしていきたいものです。

《一言》

上の写真はトマトの芽が出たところです。
温床を作って栽培しています。
その様子はいずれまた。